アポロの人生再構築

~転職・メンタルヘルス・日常について~

社会復帰1日目レポート

お題「環境を変えたら人生が変わった話を教えて」

 

つい先日まで、私はニートだった。

ニートにだけはなりたくないな...」

大学生の頃、友達と居酒屋で飲んでいた時に
こんなセリフを言ったのを覚えている。

他の記事にも書いているが、私は大学卒業後、地元の
企業に正社員で入社。ここまでは特に問題なかったの
だが、社会人3年目を迎える直前に適応障害を発症。

あれよあれよと話が進み、退職。
ニートになったのだった。

そして、無職の期間をちょうど半年過ごし、つい先日
アルバイトとして、社会復帰を果たしたのだった。

 

アルバイト初出勤の前日

初出勤を明日に控えているが、頭でアルバイトのことを
ぐるぐると考えることはあまりなかった。良いのか悪い
のか分からないが、あまり意識はしていない感覚だ。

しかし、お腹の調子がどうもよくない。最近は、お腹の
異変から「ああ、自律神経がバグってるな」というのを
認識できるようになってきた。

私はストレスや不安、緊張を感じると、100%お腹が
気持ち悪くなる。また、生あくびもでる。お腹は痛い
わけではないのだが、気持ち悪くて仕方がない。
食欲はあるけど食べ物がのどを通らない感覚。

ただ、最近は自律神経が異常をきたしていることを自分
でしっかりと認識できるようになり、対策を打てるよう
になった。これだけでも大きな進歩だと思う。

やることは簡単で、耳の下にあるくぼみから1cmほど下
に指をずらし、頭の方向に向かって10秒間、軽く押す。
YouTubeで見つけた対処法だ。自己暗示のようなもの
かもしれないが、指を離すとなんとなくスーッとする
ような感覚があり、心地いい。

自分自身に対する体と心の変化を掴んで対処しながら
一日を過ごしていった。時間が経つのは早いものです
ぐに夜になり、いつもより30分早く寝た。

寝る直前まで音楽を聴いていたからか、
寝つきはいつもより悪かった。

自律神経異常の対処について、整骨院の方が動画を
アップされています。下記にリンクを貼っておきま
すので、気になる方はご覧ください。

www.youtube.com

 

アルバイト初出勤の朝

いつもより30分早く起きて、リビングに行く。
いつもはだいたいソファで15分ほど二度寝をするが、
今日は洗面所へ直行。すぐに身支度を開始した。

朝は家を出る1時間半前には起きる。焦らずに準備を
するためだ。朝起きる時間も、夜寝る時間も30分早
めることにした。

身支度を終え、朝食を食べる。私は朝があまり強くなく
て、朝ごはんをあまり食べられない。食べたほうが良い
のは分かっているが、どうしても喉を通らないのだ。
パンもご飯もあまり食べられない。

これに加えてアルバイトの不安から自律神経がバグり
全然食べられないのでは...?と思っていたのだが、自分
が思っている以上に食べることができた。

前社で働いていた時は、朝も昼もご飯を食べられなく
て困っていたのを思い出した。やはり正社員とアルバ
イトの違いから、自分が自分自身に課しているプレッ
シャーも変わってくるのだろう。もちろんアルバイト
でも真面目に働くが。

朝食も済ませ用意が終わり、出勤の時間がやってきた。
出勤は車。出社に支障がない範囲でギリギリまでは家
にいたいのだが、何時に出るのがベストかいまいち分
からない。そして、緊張でお腹の調子が悪くなってい
くのを感じる。運転席のシートに座ったまま、何回も
深呼吸をして自分を落ち着かせる。さあ出陣だ。

 

会社にて

無事会社に到着。フロアや設備の説明を受け、先輩方
に初めましてのご挨拶。とてつもなく緊張するかと思
ったが、あんがいそうでもなかった。新しく入ってく
る情報ばかりで、既に頭はパンパンだったけど。

初日ということでいきなり仕事ではなく、オリエンテ
ーションのような一日だった。事前に準備した書類を
渡し、就業規則の説明を受ける。毎朝の掃除の説明。
別の支社への挨拶。シフト決め。だいたいこんな感じ。

あっという間に半日が過ぎていった。恐らくこれから
もだろう。細かいところまで見ると覚えることは多々
あり、家に帰ってメモを作っていった。

ちなみにだが、私は仕事を教えてもらっているときに
はメモを取れないタイプ。相手を待たせてしまうし、
ゆっくり書けないし、人に見られながらだとソワソワ
して上手く書けないからだ。ドラマとかでメモを取り
ながら話を聞いているようなシーンがあるが、あれって
普通なんだろうか。

 

初日を振り返って

上記にも書いてある通り仕事をしたわけではないが、
アルバイト初日を無事終えられたことを褒めたい。

完全に社会のレールからは外れてしまっているし、
たかがアルバイトかもしれない。正社員との差は
大きいかもしれない。

しかしながら、それでも着実にステップを踏めている
自分をなんとか労わってやりたいと思うになった。

一時期は精神状態が悪化し、人生に絶望しかなかった
のだから。机に頭を押し付け何も考えられなかった
半年前に比べれば、大きな成長をしていると思う。

こんな経験はしないほうがいいし、今後も絶対に
したくないのだが、ある意味この経験は貴重なも
のになっている気がする。この経験があったから
今があるのだと、後になって言えるようにしたい。

明日は2日目です。もう仕事が始まる。頑張ります。

みんな一緒、なんてない

お題「あなたの「自分軸」って何ですか?」

 

一番嫌いな言葉

突然ですが、あなたは普段の生活のなかで

「みんな一緒」という言葉を使いますか?

このワード、日常でも結構耳にする気がする。

例えば

①「みんなで一緒に頑張ろう!」
②「あなただけじゃない、苦しいのはみんな一緒」

みたいな感じ。
このワードに限らず日本語は、同じ言葉であっても
使い方やイントネーションが違うだけで意味が全然
違うものに変化すると感じている。

上記の①は、チームのリーダーがチームの士気や団結力
を高めるために発するような言葉のイメージで、悪い印
象は全然ない。ポジティブで、社会の中で多用されてい
ても全く問題ないと思う。

しかし、②の場合だとどうだろうか。
使われているシチュエーションを考えてみると、

「Aさんが友人のBさんに悩みを相談
  →BさんがAさんに対して②のように返答」

みたいな感じだろう。誰かが自分の悩みや不安、弱み
などを打ち明けた時に、それを周りの人間が否定して
いる、そんな風に感じる。印象としてはネガティブな
要素が強い。

私は、上記の②のような場面で使われる場合の
「みんな一緒」というワードが大嫌いだ。
日本語で一番嫌いといってもいいくらい。

この記事では、「みんな一緒」というワードに
ついて、自分の経験を交えながら考えていきた
いと思う。

 

私と両親のコミュニケーション

私の両親はどうも「みんな一緒」というワードが好き
みたいで、幼い頃はこの言葉をよく浴びせられていた。

両親は、あらゆる物事を「個」ではなく「集団」
とらえる人たちで、何事もすぐに比較したがるくせが
ついているようだった。特に母親はこれが顕著だった。

私が悩みを打ち明けたり、弱音を
吐いたり不安なことを口にすれば、

「みんな大変なんだから」
「もっと大変な人もいる」
「私だってそうだった」
「そんなことで弱音を吐くな」
「細かすぎる、いちいち気にするな」

みたいなワードが毎回返ってきて、気が付けば
毎回私が逆に攻撃される羽目になっていた。

こんなことが日常になっていたので、幼い頃の
私は両親に悩みや不安を打ち明けることができ
なかった。余計に攻撃されて、傷つくからだ。

こんな親子関係は、明らかに異常だ。小さな子どもは
一人でできることが極端に少ないため、親に依存せざ
るを得ない。このため、両親からの影響を良くも悪く
も大きく受ける。

しかし、上記のような会話が当たり前になっていたた
めか、私の社会や周囲の人間に対する認知は歪み、自
己肯定感はどんどん下がっていった。

周りとのコミュニケーションの取り方が分からず、周
りの気を引くために平気で小さな嘘を積み重ねるよう
になった。しかし、どこかしらで必ずボロがでる。
私はこれが原因で、中学生の頃にいじめを受けた。

もちろん自業自得な部分もある。しかし、もっと両親
と健全なコミュニケーションが取れていれば...と思う
こともある。もう仕方ないのだけど。

 

私は「個人」と向き合いたい

確かに、両親が言うようにみんな悩みや不安を抱えて
いると思う。大きな傷を負って生きている人もいる。
「みんな一緒」というのは間違いではない。

しかし、それは表面的な部分の話ではないだろうか?

・どんな悩みなのか
・なぜこの悩みが生まれたのか

・解決するにはどうしたらいいのか

捉えるべきなのは悩みがある、という「事実」では
なく、その事実が発生した「経緯」ではないだろうか。

それなのに、
「事実」が判明するとすぐに「みんな一緒だ!」とか
「もっとしんどい人もいるだろうが!」と一蹴し、そ
の中身を見ようとしない。そうすると、打ち明けた身
としては打ち明けたことを後悔するかもしれないし、
「自分が弱音を吐いているだけだ」と自分自身を
追い詰めてしまうかもしれない。

本当に思うのだけれど、物事を周囲と比較して何の
意味があるのだろうか。国単位で見れば、日本は先
進国で治安もよく、恵まれているほうだと思う。世
界には貧しい国も多く存在している。なら、日本人
はどんなに苦しいことがあっても「もっと苦しい人
もいるから」と、常に歯を食いしばって生きている
だろうか?

そんなことはないと思う。それぞれの人々が限られた
コミュニティの中で、助け合って生きているはずだ。
日本だけでなく、世界中がそうやって成り立っている
と思う。

要するに、周りの人からみて気にしすぎだと
感じたり、贅沢な悩みや不安だと感じたとしても、

本人が「つらい」と言えば「つらい」のだ。

そうやって、私は受け入れていきたい。そして、
どうすればそれが解決できるか、一緒に考えたい。

私がこの記事で伝えたいことは、それだけです。

 

ちなみにですが、人間「個人」に元気を
与えてくれる音楽を歌っている人たちを知っています。

SUPER BEAVERというバンドです。
ぜひ聴いてみてください。

それでは。

アルバイト、受かった!



昨日投稿したブログの続きです。
まだご覧になられていない方は、
こちらから見ていただけると嬉しいです。

aporo-chan.hatenablog.com

 

上記の投稿にも書いてある通り、
今日の午前中にアルバイトの面接を受けた。

結果は採用。その場でいただけた。

バイトの採用をわざわざブログで報告??と
思われるかもしれないが、私にとっては超重要。

今回は今日の面接と今後について、
書いていきたいと思います。


どこかしら参考になれば幸いです。

面接の内容

受けてきたのは、面接と簡単なテストのようなもの。
結局1時間くらい滞在していた。

受けたのは小さい会社の経理事務の求人で、面接官は
2人。社長、総務部の係長だった。それぞれ男性と女性。

社長の印象は...うーん、アナログ人間のおじさん。
ただ、悪い人ではなさそう。

総務部の係長は、穏やかそうなおばちゃん。
多分この人とマンツーマンで仕事をすることになる。

面接で聞かれたことは、
・なぜ弊社を受けたのか
・前職の退職理由 → 深掘り
経理だけでなく総務業務もするが問題ないか
・車の運転については問題ないか
・他の従業員からPCについて聞かれることが
 多いが対応できるか

このあたり。全体的にアルバイトの面接という
よりかは、契約社員や正社員の面接に近いものだった。

特に退職理由については深掘り
までされたので、少し焦った。

 「前職の退職理由は?」
→「体調不良です。今は就業に問題ありません。」
→「体調不良というのは?」
→「...適応障害となりました。会社にも迷惑をかけて
  しまうし、自分の将来を考えて退職しました。」
→「どうして適応障害になったの?」
→「上司からのプレッシャーが原因です。他の上司
  にも改善を訴えましたが改善は見込めないという
  ことで、退職しました。」
→「まあストレスだよね。次働くときは、
  体力をつけなきゃいけないね。」

みたいな会話だった。根掘り葉掘り聞かれたため恐る
恐る正直に伝えたが、思ったより理解はあるようだっ
た。

また、今回の面接で自分の社会復帰について伝えた
ところ、一定の理解を示してくれた。勤務時間も
「社会復帰が目的なら、午前中のほうがいいだろう」
と、会社側で調整をしてもらった。

今振り返ってみると、それなりに自分の本音を伝えた
うえで、配慮をしてもらい採用していただけたと思う。
大きな収穫だ。

ただ一点だけ、気になることがあった。

それは社長の「手書き」に対するこだわりである。
これだけITが浸透している現代で、書類は手書きの
方が~とか、筆圧が~とか、そういうのを気にする
人だった。履歴書も手書きの指定があったし、
「字が汚い!」といきなりお叱りを受けた。
まあ字が汚いのはその通りなんだが...

仕事は常に効率が求められるものだし、手書きより
PCで作成した方がいいだろうと思ってしまう。
そっちのほうが慣れてるし。

PCで作成できるのにわざわざ手書きをしていると、
なんだか損している気分になる。仕事でそういう
場面が増えるかもしれないが、目をつぶろう。

今後について

離職して半年経つが、ようやく社会復帰できる。
アルバイトからだけど、新しいスタートを切れる
ことに大きな喜びを感じている。

今後の予定としては、
・1日4時間、週4でアルバイトをし、段々と体力を戻す
・残った時間で日商簿記2級の勉強、資格を取得する
・ブログなど、自分か何かを発信してみる
・副業等、始められそうなことを探す

こんな感じ。資格を取得し、アルバイトにも慣れて
きたら、フルタイムの就業に向けて転職活動を再開
するつもり。

本当は投資信託とか、新しい口座を作って
家計管理を見直すとか色々したいのだけれど...

正規雇用とか一定の収入がないのは不便な
ものだな、と感じている今日この頃です。

とにかく、新しいスタートを
切れそうで本当に良かった。

現状に期待しすぎず、悲観しすぎず、
冷静に落ち着いて、日々を過ごしていこうと思います。

アルバイト、落ちた

お題「泣きそうになった瞬間」

 

「申し訳ありませんが、不採用です」

ついさっき、電話でこう告げられた。
お祈りメールは今まで何回も経験しているが、
電話で直接言われるのも結構しんどい。

自分の考えが甘かったかもしれないが、
まさかアルバイト(厳密にはパート)の
選考に落ちるとは思わなかった。

応募したのは、経理事務の求人。1日4~5時間、
週3日ほどで、負担は比較的軽そうなもの。
経験、資格ともに不問で、私にもチャンスが
あると勝手に思い込んでいた。

ちなみに言うと、面接を受けて落ちたのではなく、
書類選考で落ちました。

 

社会復帰を目指して

四年生大学を卒業後、地元の企業に就職。
ここまでは良かった。
しかし、あともう少しで3年目!というところで
適応障害を発症。超イレギュラーな退職を経験した。

適応障害を治すために療養し、体調も回復してきた。
かかりつけ医からも転職活動の許可をもらい、
エージェントに登録し、本格的に転職活動を始めた。

別の記事にも書いているが、私はいわゆる第二新卒
に該当する。まだ20代半ばだし、転職活動が非常に
大変なことは覚悟していたが、なんとかして新しい私
の居場所を探してやろう、とモチベーションはあった。

しかし、このモチベーションは早々に打ち砕かれた。

まず、転職活動が思っていた何倍も大きな負担と
なった。エージェントとのやり取り、求人の確認、
書類作成、適性検査の勉強、面接練習 → 本番...

どの作業も負担が大きい。
これに加えて不採用通知がバンバン届くのだから、
メンタル不調を再発するのに時間はかからなかった。

そして、なんとかして面接に辿り着いても、またもや
大きな壁がある。中途採用の面接で絶対聞かれると
言っても過言ではない「退職理由」についてだ。

私の退職理由は、メンタル不調をきたして適応障害
発症したため。しかし、これをストレートに伝えても
面接に通ることなどあるはずがない。

しかし、この事実を隠して退職理由を伝えるとなると、
嘘をつくことになる。内容がブレブレなものになって
しまうし、深掘りをされてしまったら、絶対にボロが
でる。もし上手く嘘をつき通して内定をもらえたと
しても、常にモヤモヤを抱えたまま仕事をすることに
なる。入社後に嘘がバレてしまえば、トラブルになり
かねない。

どう伝えるのがベストがずっと考えていたが、答えは
見つからなかった。エージェントにも何度も相談した
が、「病歴を伝えるかどうかは自己判断なので、自分
で考えてください」と言われることがほとんどだった。
「理由をポジティブなものに置き換えましょう!」
とも言われたが、こんな事実をどうポジティブにすれ
ばいいのか分からない。私を常に悩ませる大きな課題
だった。

結局、メンタル不調をきたしたことは正直に伝えたうえ
で、「今はもう回復して、就業に問題ありません!」と
いうことを伝えることにした。自分の退職理由をある程
度理解してもらったうえで、内定をいただけたほうが穏
やかに仕事ができると思ったからだ。

面接を7社ほど受けたが、結果は惨敗だった。不採用の
理由はほとんどの企業は教えてくれなかったが、おそら
く退職理由が大きなウエイトを占めていると思う。

こんな経験を繰り返しているうちに、私は面接の予定が
入る度に体調を崩すようになった。本当は書類選考を通
過して嬉しいはずなのに。面接の準備もどんどんできな
くなり、もちろん落ちる。そんな悪循環が発生してしま
い、半年間ほど取り組んだ転職活動を辞めた。

今の私には、いきなりフルタイムで復帰できるような
体力は残っていなかった。自分の将来を長い目で見て、
段階的に社会復帰していこうと考え、まずはアルバイト
から再開してみることにした。

そして、この記事の最初の内容に戻るのであった。

 

なんとか食らいつきたい

電話で不採用通知を聞いた後、「なぜうちを受けた
のか?」と聞かれた。落としておいてそんなこと聞く
必要があるのか?とツッコミたくなるのを抑え、
正直に伝えた。

「現在経理職に就くことを目指しており、経理事務の
経験をさせていただきながら、残りの時間で簿記の資
格取得に向けて勉強できると思ったからです」と。

どうやら相手は子育て中のお母さんや定年退職した人
向けの求人として出していたようで、「能力的には全
く問題ないです」とフォローされた。それがせめても
の救いだった。

実は、明日にアルバイトの面接を控えている。
今日落ちたアルバイトと同じ、経理事務の求人だ。

明日はなんとか踏ん張って、採用をもらいたい。
たかがバイトかもしれないが、私にとっては重要だ。

もし正社員もアルバイトもダメなら、
私はどう生きればいいのだろうか。

お先は真っ暗だし、正直今の自分の人生に希望はない。
しかし、毎朝目を覚ませたことに感謝して、
一日を生き抜いています。

明日も頑張ります。あなたもお大事に。

将来の進路

お題「もっと早くやっておけばよかったと思う事」

 

進路とはなにか


あなたはこれまでの人生において、自分の進路
本気で考えたタイミングはいつでしたか?

私は24歳になって、「もっと小さい頃から将来に
ついて考えておけばよかった」と、後悔している。

人生における進路の大きな分かれ道というと、

・高校受験
・大学受験
・新卒での就職活動

こんなところだろうか。
最近では小学校や中学校から受験を経験する方も
増えてきているだろうし、もちろん進学や就職
以外でも、自分の人生を左右する大きな出来事も
人それぞれあるかと思う。

学生という身分を卒業し社会人に片足を突っ込んだ
ことのある私からすると、いわゆる進学というもの
は、社会人になるための、大きな準備期間であった
ことを改めてひしひしと感じている。

そして私は、4年制大学を卒業するまで、
自分の進路について本気で考えたことが
一度もなかった。

これは結構まずかったと、
今になって痛感しています...

私の幼少期

私は小さな頃から、将来の目標とか夢とか、
そういうものを全く持ち合わせていなかった。

正確に言うと、考えたり探したりしたけど
目標や夢が見つからなかったわけではなく、
そもそも考えたり探したりする、ということを
したことがない。


幼稚園生や小学生の頃って、「将来何になりたい?」
とかよく聞かれることがあったが、自分としては
なーんにもなかったので、なりたいなんて
思ったことないけどとりあえず「野球選手」
とか書いていた。

うすーい記憶を辿ると、幼い頃は歌を歌うことが
好きだったので「歌手になりたい」と思ったこと
が一回だけある気がする。確か小3の時。
しかし、まだ小3のくせに「歌で食っていくなんて
難しいよな...」と悟っていたのを覚えている。

 

初めての受験、そして進学


私が初めて受験を経験したのは、中学3年生のとき。
いわゆる高校受験。普通です。

中学生の頃の私は、全然成績が良くなかった。
テストの順位はいつも半分より下くらい。
数学が大の苦手で、えぐい点数も普通に取っていた。

行きたい高校も特になかった。両親からは「うちは
お金がないから公立に行ってくれ」と口酸っぱく
言われていたので、とりあえず自分の学力で行けそう
な公立の高校を目指すことにした。

結果としては第一志望としていた公立高校に進学する
ことができた。この選択については間違っていたとは
思っていない。部活動が楽しくて、気の合う同期と
出会うことができたからだ。

そして高校3年生になった時、再び大きな進路選びが
やってきた。私の高校は普通科ではなかったので、
就職する人、専門学校に行く人、短大に行く人、
4年生大学に行く人、色んな進路を選んでいた。

この中でも、私は進路として「専門学校」を
選んだ人に、大きな羨ましさを感じていた。

専門学校は、ある特定の分野についてとことん
学ぶところだ。専門学校に行ったからといって
その分野でしか就職できないということはもち
ろんないとは思うが、いったん自分の進路を
狭めることにはなると思う。

このため、特定の分野について大きな関心と
学び続けるモチベーションがないと専門学校
で学ぶことは難しいと思うし、生半端な思い
で進学してはいけないと思っていた。

だが、私の高校には専門学校に行く人が結構
いた。デザイン系に進む人、看護師を目指す
人、理学療法士を目指す人... 色々な分野へ。

私はそれが羨ましくて仕方なかった。
「みんなはいつ、何がきっかけで将来目指し
たいものを見つけることができたのだろう?」と。

自分には夢や目標は何もなかったから。

私には特に行きたい大学はなかったが、
「高卒で就職したくない」と「一人暮らししたい」
という気持ちだけはあった。当時はなんとなく
そんなことを考えていた。

県外に出て一人暮らしすることは親に大きな負担を
かけることになるので、自分の学力でいけそうな
公立の大学を受験することにした。

第一志望の大学には合格できた。しかし、
この選択が正しかったかは今でも分からない。

 

これから「進路」を経験するあなたへ

学生の頃の私のように、将来の夢やなりたい
職業がない人も多いのではないかと思う。

そりゃそうだ。
本の学校は常に集団教育で、「協調」
求められる。そして、教室で生徒全員が同じ
方向を向いて、平均的な知識を身に着けさせ
ようとするのだから。

それでいて、就職活動では
「君個人でやりたいことはなんだ!?」
みたいなことを急に聞かれる。そんなもん
見つかるわけないじゃん。今までそういう
ことを考える場面を潰されてきたのに。

しかし、社会も少しずつ変わってきている。
今は段々と「個人」が尊重されるように
なってきているし、「多様性」の動きも活発だ。

だから、自分が面白そうと思ったことは、周りの
友達に言ってみたり、SNSで発信してみたり、とこ
とん調べてみたり、とりあえず動いてみてほしい。

学校で気になったことでもいいし、それ以外の場所
でもいい。「集団」ではなく、あなた「個人」として
好きなもの、気になるものを追求していってください。

「家族」という関係


突然ですが、あなたにとって「家族」とはなんですか?

家族はやはり友人や職場の人とは違った唯一無二の
存在で、特別な感情を抱いている人も多いと思う。

もちろん仲が良い方がいいし、支えあえる関係が
ベストだし、上手く付き合える方がいい。

しかし、それはあくまでも理想の話であって、
現実はそう上手くもいっていない人も多いと
いうのが本音じゃないだろうか。

私もその一人である。

「家族」という関係は社会の中にたくさん
あるにも関わらず、その中身は非常に閉鎖的だ。
このため自分の家族内で起こっていることが
「家族」という関係にとって当たり前だと思いがち
だが、実は全然そんなこともなかったりする。

だが、テレビや映画で感動的な家族の物語が流れたり、
CMでエモい兄弟の写真が流れたり、とにかく「家族」
について感動的な内容のものばかり溢れているから
なのか、

「家族は仲が良くて、いい関係なのが当たり前だよね」

みたいな感覚が暗黙の了解で世の中に
流れている気がしてならない。

こんな感覚が社会に浸透しているせいか、自分の
家族や親戚に関する相談をなかなか周りにしにくい。
相談をしても、

「いやいや、家族とは仲良くしなきゃいけないよ」

とか、

「そうはいっても、両親は君のためを思ってるよ」

とか、なんとかして、
「家族と関係が上手くいっていない」
という事実を認めない。

そうすると、
相談した本人としては

「もしかしたら本当にそうなのかもしれない」
「自分が家族の期待に応えられていないのでは?」

みたいにぐるぐる考えてしまって、自己嫌悪が始まる。

要するに、
家族に対する社会の感覚現実で起こっていること
あまりにもずれていて、このために苦しんでいる人が
多いのではないか。

私は適応障害を発症したことをきっかけに、
人生で初めてカウンセリングを受けた。

そこで、初めて自分と両親の
関係の異常さに気づいたのだった。
(この部分は長くなるので後日書くことにします)

私はカウンセリングを受けて初めて、両親との間に
感じていた違和感を具体的に見つけることができた。
現状が劇的に変化するわけではないけど、将来に
おいて確実に前向きな要素になると思う。

今家族関係で悩んでいる人は、どうか一歩踏み出して
周りを頼ってみてほしい。カウンセリングでも友達でも
公共の福祉でもなんでもいい。何かあなたを助けてくれ
る要素があると思います。

そして、自分が相談を受ける側になったときは、
「家族」というデリケートな関係をきちんと
受け入れられるようにしたい。

「あなたはあなたの家族で困っているんだね、じゃあ
どうしたら問題を解決できるだろうか?一緒に考えよう」

みたいな感じで。

私は今、実家で暮らしています。
家族との関係が悪いわけではないですが、一人暮らし
したくてたまりません。計画を立てて、実家を出られる
ように動いています。

頑張ります。
あなたもお大事に。

離職、そして転職①

第二新卒

この言葉をご存じだろうか?

第二新卒とは、学校を卒業し企業に就職したものの、
約3年以内に転職活動を行っている者を指す言葉だ。
私もこれに該当していた。

第二新卒の転職者を採用する企業側のメリットとして、

・ある程度ビジネスマナー等は身についている
・特定の企業の風土に染まっておらず、
 柔軟な考え方を持っている
 → 新卒よりも短い教育期間で、
  戦力UPにつながる可能性がある

といったことが思い浮かぶ。

私は適応障害を発症し、新卒で入社した企業を2年弱で辞めた。そして第二新卒というワードに希望を抱き、人生初の転職活動に挑んだ。

 

しかし、私には

第二新卒

としての需要はなかったらしい。
要するに、転職活動に失敗した。
半年ほど粘ってみたが、限界だった。

私はこの転職活動で、キャリアチェンジを
目指していた。具体的には、システムエンジニア経理という内容。

なぜキャリアチェンジをしようと考えたのか?
それは、「システムエンジニア」という職種が全く自分に合わなかったから。

私は理系でもないし、プログラミングの経験もほんの少ししかない。
ただ、就職活動をしていた当時としては、この職種に就くほかなかった。

文系の人なら分かるかもしれないが、4年生大学を卒業後、
企業に就職する人の6割以上は営業職ではないだろうか。

しかし、私は営業職だけには絶対になりたくなかった。
人と会話するのは得意ではないし、交渉力もない。
お酒も体質的にほとんど飲めず、飲み会は地獄。
ノルマに追われながら毎日仕事をするなんてありえない。

自己分析をするなかで営業職が自分に合っていないことは明白だった。
なら、他の職種としてどんな選択肢があるだろう?

当時の自分の頭にあったのは、
システムエンジニア
・バックオフィス(事務職、経理職とか)
・品質管理

これくらいだった。
(実際はもっと選択はあったかもしれないが、当時の自分はこんなもんだった)

 就職サイトを見れば、
「好きなことを仕事にしよう!事務職とか経理はAIに奪われるぞ!」
 みたいな記事ばかり。

当時の自分はそんなネットの内容を鵜呑みにしてしまった。
冷静に考えれば、ほんの数年でAIに仕事の全てを奪われる
なんてことはないはずなのに。

この結果、バックオフィスという選択肢は自分の中から消えた。
そして、ほーんの少しだけ大学でプログラミングを経験したことから、
システムエンジニアを目指したのだった。

こんなことを言うと元も子もないが、私はプログラミングが苦手だ。
大学で初めてプログラミングに触れたとき、本当にさっぱり分からなかった。
もちろん最初は誰もが分からないだろうけど、適性というのはあると思う。
今振り返っても、自分は本当にプログラミングは向いていない。

しかしながら、多少の面白さも感じていた。
分からないながらにコードの修正をひたすら繰り返し、
想像どおりにプログラムが動いたときは、嬉しかった。

「苦手だけど面白さもあるし、企業に入って経験を積めば、
 自ずとできるようになるかもしれない。」

そんな希望を胸に就職活動をした結果、
なんとか地元企業の社内SEとして採用された。

しかし、蓋を開けてみるとそこは地獄だった。

当たり前だが、仕事には責任が伴う。
限られた時間のなかで、業務をこなさなければならない。

プログラミングは相変わらずさっぱり分からない。
案件は丸投げされる。上司からのプレッシャー。
家に帰ってから勉強する気力などあるはずがない。

そんな状況でなんとか粘っていたが、限界がきてしまった。
仕事に行けなくなってしまった。

適応障害」を発症し、突然退職した。

 

転職活動の話は、また後日。